今回は、オリンピックの正式競技種目になるまで、唯一のバドミントン団体世界一決定戦だったトマス杯とユーバー杯をピックアップします。
まずは、トマス杯。(Thomas Cup)
世界バドミントン連盟(BWF)の前身の国際バドミントン連盟(IBF)初代会長だったジョージ・トマスにちなんだ男子の国別対抗戦です。
1948年の第1回大会から今年(2012年)で27大会を数えます。
第1回の開催地こそイギリス(イングランド)でしたが、
それを除くとヨーロッパで開催されたのは、第12回ロンドン大会だけで残りは全てアジアで開催されています。
開催地だけではなく、優勝国もアジア勢が独占し、全27大会中、インドネシアが13回・中国が9回・マレーシア5回となっています。
日本はというと長い間、本戦出場というに壁にあたっていました。
1984年大会で代表チームが予選を突破してから、2004年大会の本戦出場を決めるまで、
実に20年の間(自国開催の1990年大会は除く)予選を突破できなかったのです。
しかし、ここからの日本男子チームの活躍ぶりはめざましく、
以降の大会は全てベスト8入り。
2010年大会では1979年以来31年ぶりの銅メダルを獲得。
続く2012年大会では、準決勝で中国を相手に激戦を繰り広げるものの一歩およばず、銅メダル。2大会連続の快挙です。
もはや予選は突破するのが当たり前といったところまできています。
初の優勝を目指して頑張っていただきたいですね。
さて、このトマス杯1967年の第7回のジャカルタ大会である事件が起こってしまいます。
その事件というのは、インドネシア人観客が試合を妨害し、
さらに当局が妨害の制止を拒否するというもので、大会続行は不可能となりました。
当時のインドネシアでは反マレーシア政策がとられていたという国際政治情勢が
背景にあったといわれています。
トマス杯の輝かしい歴史の中で、汚点となってしまった出来事です。
続いてはユーバー杯(Uber Cup)こちらは女子の国別対抗戦です。
往年の名プレイヤーだったベティー・ユーバーがIBFに1950年にユーバーカップを寄贈したことが起源です。
今年で24回を数える大会で、北米(アメリカ)や南半球(ニュージーランド)でも
開催されたことがあります。
初期の大会でこそ、アメリカや日本も優勝国になっていましたが
1984年大会以降、中国が参加してからは、全大会銀メダル以上を獲得。
金でなかったのは3大会だけといった独走状態となっています。
また、日本チームは2010年・2012年と2大会連続で銅メダルを獲得する活躍を見せています。
トマス杯・ユーバー杯両大会とも発足当初は3年おきの開催だったのだが、1980年代の大会から2年に1回の開催となりました。
オリンピックイヤーと重なるようにもなったので、代表選手はコンディショニングに神経をすり減らし、調整が大変なようです。